更新日:2020年09月11日
今や時計の王様とも呼ばれるロレックス。
そんなロレックスの腕時計が全世界で愛され、ステイタスとして定着した理由はもちろん、最高峰の品質と美しさゆえです。
しかし、ここまで世界で有名になるにはもう一つ大きな理由がありました。
それが広告戦略です。
メディアをうまく味方につけた当時としては画期的な宣伝方法が、今のロレックスの地位を築いた理由のひとつといっても過言ではありません。
海外ではその匠な広告戦略とメディアの使い方から、ロレックスは「Master of Advertising(マスター・オブ・アヴァタイジング)」と言われ、ビジネスを学ぶための教材としても使われているほどです。
今でこそ当たり前のように行われている広告戦略ですが、実はロレックスが初めて行った方法も数知れず。
今回はそんなロレックスの偉業、「広告戦略」についてご紹介します。
メディアを味方につけた匠な偉業
1881年にドイツで生まれたウイルスドルフがまだ幼かった時代、時計はポケットに入れて使用するのが主流でした。
実際に腕時計もありましたが、レディースの装飾品やジュエリーの感覚で使われており、メンズの腕時計はありませんでした。
当時は男性が日常生活で身に着けられるほど丈夫な時計がなく、腕時計の開発を試みる人もいましたが、成功することはありませんでした。
そんな中、小さな珍しいムーブメントを制作してるスイスの工場を見つけたウイルスドルフは、それをドイツに持ち帰り同年に「ROLEX」を創設したのです。
まだ誰も挑戦したことがない、日常使いが可能で丈夫なメンズの腕時計はここから生まれたのです。
今後生まれてくる防水性や厳しい環境に耐えられる耐久性にも特化した腕時計の原点には、創業者のこうした理念があったのですね。
スイマーであるメルセデス・グライツがロレックスの広告に起用されたのは当時としては異例の出来事でした。
そもそも腕時計はスポーツやましてや水の中で使われること自体が珍しかったからです。
当時無名のスイマーだったグライツは、ロレックスのオイスターモデルを着用して、人類初のドーバー海峡泳断に挑みました。
もちろん彼女はドーバー海峡横断に成功したと同時に、オイスターの防水性が証明されることになりました。
この事実は多くのメディアで取り上げられることとなり、話題となった出来事でした。
また、彼女は初めてのロレックスのアンバサダーとなった女性であり、有名スイマーとなりました。
実のところ、彼女はドーバー海峡を初めて泳断した女性ではなかったのです。
グランツが泳断した前々月には男性スイマーが、そして前月にグランツよりももっと早いタイムでガートルード・キャロライン・イーダリーという女性が泳断に成功しているのです。
当時、防水のオイスターを商標登録したばかりだったロレックス。
丁度そのタイミングで、すでに泳断したスイマーのニュースを耳にして、防水であるオイスターの宣伝に使えると確信しました。
そこで、あくまでも初めてドーバー海峡を泳断するような雰囲気をつくり、すでに泳断した前任2名よりも大きく取り上げられるように大金を投資してメディアや記者を集めました。
その結果世間では「人類初のドーバー海峡横断に成功したスイマーがオイスターをつけていた」という、より強い印象が植え付けられたのです。
この戦略は功を奏し、オイスターを身に着けた水着姿の女性が新聞の一面を飾ったことで、防水のオイスターに脚光が浴びました。
映画ジェームズボンドのボンドウォッチといえばロレックスのサブマリーナですよね。
実はここにも映画の裏話とロレックスが仕掛ける広告戦略を垣間見ることができます。
ジェームズボンドはもともとイアン・フレミング著書の小説で、その小説の中でボンドがロレックスをつけていました。
小説の映画化が決まり、ショーンコネリーが起用されることになりましたが、
撮影当初は予算の関係上、ボンドが身に着ける小物や時計にまで目が行き届かなかったそうです。
しかし撮影を進めていくうちにプロデューサーが「ボンドに何かが足りない」と感じ、自信が身に着けていたゴールドのサブマリーナをボンド役のコネリーにつけさせたのがボンドウォッチの始まりといわれています。
現在ではジェームズボンドが身に着ける腕時計はシリーズごとに毎回話題となりますよね。
ロレックスの広告チームは次回作が作られることを予想し、すぐさまスポンサーを名乗りでたことで、のちに男性の憧れとなる「ボンドウォッチ=ロレックス」の座を手に入れたのです。
その後の作品でも多くのサブマリーナが採用され、男性があこがれるボンドウォッチとして注目を集めました。
話題性がある物を敏感に察知し、より人々に印象付ける巧みな広告戦略はロレックスが得意とする戦略方法の一つなのです。
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ロレックスのブランディング戦略で注目される点の大きな一つでもある、「新しいことへの挑戦」ではないでしょうか。
次にご紹介するのは、ロレックスが制した「最速」「最深」「最高」の世界です。
マルコム・キャンベルは世界最速レーサーとして当時話題を集めていました。
ロレックスはキャンベルと手を結び、ユタ州で時速300マイル(約485 km)という地上最速の記録を樹立したのは1935年のことでした。
大々的に書かれたオイスターの文字と、「世界最速の男」とのコラボレーション広告はロレックスのブランドステイタスを更に上げていくことになりました。
このレーサーとのタッグのあと、ヨットレースにも進出し、現在人気の高いデイトナ、サブマリーナ、ヨットマスターの誕生のきっかけにもなったといわれています。
次に手を組んだのは、探検家ジャック・ピカールです。
世界中の深海を探検するピカールは、最も深い海と言われるマリアナ海溝の浸水探検に成功しました。
この時にピカールが腕に着用していたディープシーは、水深10,916mでも正常に動き続けていました。
ロレックスは
ロレックスはさらなる望みをかなえるために、エドモンド・ヒラリーとタッグを組みました。
彼は世界で初めてエベレスト山頂到達に成功した人物で、ここでもやはりオイスターを着用していたといわれています。
ここで使われたのはエクスプローラーに思われがちですが、エクスプローラーはこの後に登山用に改良を重ねられ、より高気圧に耐えられるように作られたのです。
ロレックスはどこのブランドよりも早「最速」「最深」「最高」のステイタスと話題性を得るために、
「その分野の専門家たちの多くにあらかじめ時計を配り、記録挑戦の際に身に着けてもらいメディアに露出されるように準備しておいたそうです。
すべての作戦が功を奏し、現在のブランド力を得たのは未来に対する洞察力が優れた宣伝担当の広告戦略があったからなのです。
ロレックスのポスターは当時としては奇抜なものが多々ありました。
商品やブランドの広告には特徴やプラスイメージのことを書くのが普通のように思われますが、ロレックスがあえてマイナスイメージのある言葉や写真で、より人々にブランド名を印象付けたのです。
例えば、こちらの画像はきれいにメイクし正装した女性が腕時計を着けて、金魚鉢に腕を沈めています・・・
まだ防水の腕時計が普及されていなかった時代には衝撃的な写真ですよね。
さらにこちらのシンプルなポスターには、ゴールドの腕時計にダイヤがあしらわれたロレックスとともに「あなたにはまだ早い」の文字が。
「あなたはまだ若くて、この腕時計を身に着けるのは早すぎる。でもそう思わないというならロレックスに来てみてください」といった内容が書かれています。
どちらのポスターも一見「え?何しているの?」「なんでこんなこと言うの?」と、決してプラスなイメージは持ちませんよね?
でもそれを逆手となって、印象に残ると思いませんか?
それがロレックスの戦略です。
今でこそ、キャッチーなフレーズや奇抜な見た目で印象付ける宣伝方法も一つの広告戦略と言えますが、
当時としてはこのような手法で見る人に印象付けるというのは斬新で画期的な方法でした。
見る人により強い印象を与えるだけでなく、広告やブランドに興味を持ってもらうのも戦略の一つなのですね。
数年前にSNS界にも参戦しはじめたロレックスですが、現在でもこのポスター広告の分野に重きを置いています。
この伝統を守りつつ新しいことに挑戦しているロレックスの広告戦略は、経済専門家たちからも常に注目されています。
今回はロレックスが世界中で知られる前に行っていた広告戦略の一部をご紹介しました。
現在ではよくある広告戦略のように感じるところもありますが、
実はこれらはロレックスが始めたことだと考えると、やはり広告戦略のすごさがうかがえます。
今後もどんな方法が生み出されるのか楽しみですね。